この方教授らしいけど、

ウェブページのリンクおよびその他の利用について
書き手の後藤さんという方、「東北大学大学院文学研究科言語学講座教授」らしい。
それにしては、嫌がらせリンクを正当化したいリンクフリー論者のような、おかしなことをおっしゃる。
こういう著名人の方が先に言い出したのか、リンクフリー論者よりはマシみたいだが、、

ウェブページの作成は、著作物の作成一般と同じく、作成者の主体的な表現行為であり、その中での他のウェブページへのリンク行為も例外ではありません。

んにゃ、ウェブページに著作物を掲載することが表現行為であり、ページの作成そのものが表現行為ではない。
リンクも、クリックした祭のイベントの指示でしかなく、表現行為とは言いがたい。
(尤も、リンク先も自分の著作物であり、それも表現の一部だということであれば、まさしく表現行為になるけど、それでは全引用と同じ扱いとなる。)

リンク行為はリンクを張る側の自由意志と良識と責任とにおいて行われるべきことであると、後藤は考えます。

このお方の「自由意志」と「良識と責任」の関係をお伺いしてみたいものだ。
自分の文章が「良識もクソもなく好き勝手にリンクして良い」ことの根拠として扱われていることに対してどう思うのだろうか。

リンク行為を公衆送信権の代行と見做す考えを取る人もいますが、後藤はこれも当たらないと考えます。リンク元はリンク先のURLを指示しているだけであり、リンクをたどる際にはブラウザ側とリンク先との間に直接の接続が確立されるからです。

公衆送信権とやらに当たるのかどうかは知らんが、「URLを指示しているだけ」は誤解を招き、自身も誤解しがちである。
繰り返しになるが、リンクを貼るということは「ブラウザ側とリンク先との間に直接の接続」を確立するイベントを表記するものであり、「URLを指示しているだけ」ではない。
(無論、読者がクリックしなければ「指示しているだけ」と同じにはなるが、、)


要旨: リンク行為は表現行為ではなく、それを根拠とした「リンクは自由」は成立しない。


書き手が根拠としているページ
大谷卓史「ハイパーリンクの倫理学」

第三に、ハイパーリンクをあるHTML文書に張りたい場合、その管理者に許可を求める必要は必ずしもない。

このお方の言い分はほぼ完全なリンクフリー論なのに、この文だけ「必ずしも」と付けているのは、大人のズルさを感じる。
「必ずしも」とおっしゃるなら、許可を求めるべき場面がある、と言うことになる。
(ex. 相手先が極度にページ潰し行為・嫌がらせ行為を恐れている、等)

適当なアクセス制限を設けないでハイパーリンクを無断で行うことを禁止するのは無理がある


間接的なハイパーリンクの内容を確認する義務を課すような法や規制は不合理である。

上記までのこちらの主張とは直接関係ないが、どうして技術で帰省するのは良くて法で規制したらダメなのだろうか。


追記(2007/12/11):
fjskのブックマーク / 2007年12月07日

[なんか違う]言葉尻をとらえて…って云々するのはよっぽど自分の書き込みに自信がないとできないよね。「クリックした祭のイベント」「技術で帰省する」とか、誤字脱字レベルで突っ込まれると恥ずかしいもの。

別に言葉尻なんか捉えてないけど、、
私の突っ込んだ部分が言葉尻だとしても、その言葉が大きな意味を持ってるから突っ込んでる。


んで、私の誤字脱字は、私が恥かけば終わりだからいいのよ。
トンデモ論は、さらにトンデモ化してバイブルになっていくから、誰かが反論しておかなければならない。(たとえ自分に「よっぽど」の自身などないとしても、)