要するに「俺は幸せ」らしい

■「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場

夕日に染まる美しい落ち葉の林を歩くとき、
ぼくは、自分が何者でもないことに感謝する。


もしボクが写真家だったら、ぼくはこの美しい光景を、
どうしたらきれいな写真に収めることができるか考えるだろう。
(中略)
しかし、ぼくは何者でもない。
だから、この美しい光景を、
単にその美しい光景、それ自体として、そのまま素直に受け入れ、味わい、楽しむことができる。

%タイトル%にしか感じないんだけどなぁ。


まぁ記事の主旨とは無関係に突っ込んでみると、そのような景色から仕事へのヒントを得る人が、革新的な何かをつくり上げ、プロジェクトX -挑戦者たち- に取り上げられたりする訳だ。


どちらが幸せかはひとそれぞれだろう。
何者かであってもなくても、どちらにしろ、明日ご飯が食えるか心配しなくて良い程度の余裕がなければ、楽しんで幸せになることなどできまい。


まぁ、分裂氏が幸せなのはいいことだ。
あとは「他人の幸せは許せでぇんだよっ!ゴラぁ!」と絡んでくる自称女性に気をつけよう。
とは言え、そんな困った君の声など掻き消えるくらいに人気があって、余計な心配でしかないのかも知れなひ。