褒め言葉だけが見たい?

ネットでの風評は自分の価値を左右するほどのものだろうか - くまりんが見てた!

褒められるのは嬉しいけど悪く書かれるのはいやだってまるで子供みたいな言い分だがそれが人情と言うのもだろう。

リンクは自由論者やネガティブコメント擁護論者が、考えの違う他人を指してよく言うセリフ。
「褒められるのは嬉しいけど悪く言われるのは嫌だ」
「賛同意見は見たいけど反対意見は書かれたくない」


随分と捻じ曲げられた見方だなぁ、と思う。
中には本当にそのまんまの人もいるだろうけど、、


私が見た捻じ曲げには、以下のようなことがあった。
「議論はしたくない」と言われたことに対して「批判は嫌」という話にしたこと。
反対意見があったからって議論に引きずり出されなければならない義務などない訳で、それを捻じ曲げて子供の言い分のように扱うのは考えもの。
ましてや、相手が乗ってこないからとしつこく絡んだり文句言ったりするのは、そちらの方がよほど子供である。


又、発展のある批判はいいとしても、訳のわからん悪口は誰しも嫌だろう。


「[これはひどい][ひどすぎる][しねばいいのに]こんなバカはネットの邪魔。本当にしねばいいのに。」


等と書かれても、ただただ不快にさせられるだけだ。
大人の言い分であっても、こんなクズコメントを認める筋合いはない。


#いや不快でも何でもない、という人もいるかも知れない。
そのような人はよほど言われ慣れているか、人並みの感情が欠落してるかのどちらかだろう。
間違ってもモヒカン族だから、とかではあるまい。
##まぁ感情的にわからんでもない時はあるが、、


「反対意見は嫌」「褒めるだけにしろ」みたいな見方は、ある考え方の人が違う考え方の人を一方的に蹴散らしたいが為のでっち上げのようにしか見えない。


ただ、本当に「褒められたいだけ」「賛成しか書くな」もあるのかも知れない。
そういう、本当に子供の言い分でしかないことはスルーしても構わないだろう。


しかし、捻じ曲げが行われることによって、捻じ曲げられる前の主張が闇に葬られているのであれば、それは非常に良くないことだ。