けなし屋

書く人、読む人、批評する人、けなす人──それぞれの品格を問う

 記事は実名で一生懸命書いているのに、それに対するコメントが「お気楽」なハンドルネームでは、何かアンフェアなような気がするのだ。そうすれば、「けなし屋」も少しは減るのではないかと思うのだ。

はてブではグダグタ言われてるけど、まぁ「少し」は減るだろう。
日本人風の名前=実名としか考えてないのなら、おめでたいもいい所だけど。
それでも、けなし屋の中には実名風の名前を考えるのさえ面倒くさくて止める者もいるので、「少しは減る」は一応正しいと言える。


しかし、

「人の記事に対してこれだけ文句をつけられるのでしょうから、さぞかしあなたは何でも御存知の立派な方なのでしょう。それなら是非ともそんなあなたの記事を読みたいので是非とも同じテーマで結構ですので、記事を書いてみてください!」


 そう書くと、けなすことに血道を上げ、活発だった「けなし屋」から、ぷっつりと返事が来なくなる・・。

これと実名匿名は関係ない。
けなし屋が、けなすことへの敷居が低いからけなし行為をやっている、というくらいの証明にしかなってない。

 その記事に書かれたコメントを読もうとすると、どこかで見覚えのあるハンドルネームとフレーズ。


 「あいつらか」

けなし屋は決まった連中。
それは感じる。

 その記事の裏に、それを書いた記者の方の「覚悟」が痛いほど感じるから、それを尊重してあげたいと思うのだ。
(中略)


 勇気を出して記事を書いても、見ず知らずの人間にそれを言下に否定、誹謗中傷されれば、誰でもやる気をなくすというものだ。


 彼らに「潰された」市民記者は決して少なくはないと思う。

いや、それじゃ痛いほど感じるぐらいの覚悟なんかないだろう。
多少やる気はなくすとしても、けなし屋程度に尻尾巻くような者のどこに覚悟なんてあるのか。

 記事が自分の気に入らなければ人の心に土足で踏み込んで、

細かい突っ込みだと思うけど、、
土足でも何でも、本当に相手の心の中に踏み込めれば、それはそれで大した批判屋だ。
相手の言っていること・心・本心などは無視して叩きにかかり、嫌な感じだけを与えようとするからこそ、単なるけなし屋。


まぁ各論では同意できる部分あり同意できない部分あり、だけど、全体としては7割くらい不同意、、かなぁ。。