どうでもいいけど、

無断リンクが禁止だろうが、リンクは(嫌がらせでも潰し行為でも何でも)自由だろうが、それ自体はどうでもいい。
しかし、つまらん危弁には釘を差しておく必要がある。


くっぱさんとのやり取りをまとめました - 妄想日記

WWWに文書を置くということは世の中に言論を公開するということですから、WWWに置いた時点で他人を巻き込んでいるんです(自覚があるかどうかは別として)。

文章を書くだけなのとリンクまでするのとでは影響が違い過ぎ。
その文章にもよるが、リンクされた文章に比べればリンクされていない文章は他人を巻き込んでいないに等しい。

だから、実際にリンクされたときはリンクした相手の価値観を尊重しておけばいいんです(先に巻き込んだのはWWWに文書を置いた自分なんだから)。それが言論行為に対する責任というものでしょう。

そんな責任はない。
無断リンク禁止と言われたら黙って従えばいい」を逆にしただけに等しい理屈。


相手の価値観を尊重しようが、徹底的に否定しようが自由。
でなきゃリンク云々以前に、言論の自由は保障されない。


「先に巻き込んだのはWWWに文書を置いた自分なんだから」なんか潰し屋連中にはとても美味しい理屈だなぁと思ふ。
書き手が潰し屋なんかじゃなくても、潰し屋が「だから黙って潰されて消えろ」と言って利用するのに都合よ過ぎ。
(追記:2007/11/20 →)私のこの記事のはてブコメで、lastlineさんはこのことが全くわかってないらしい。


#まぁ潰し行為自体は勝手だけどね。
何者からもペナルティを受けなきゃそれまでだし、ペナルティ受ければ自分の責任だし、、


追記(2007/11/20):
↑記事にあった以下のコメントに興味があったので追記する。

sci98 2007/11/12 20:42


ちなみに、私の考えは「出所を明示するのは言論行為においては当然すべきこと、ハイパーテキスト形式のファイルではリンクを用いるのが読者の便宜上よい。読者の便宜を考えない文書ならチラシの裏にでも書いてWWWには置かない。」というものです。

文言だけを見れば、前半は私も同じと言える。


私の考えは「出所を明示するのは言論行為においては当然すべきこと(出所の明示は必ずしもリンクにはこだわらない)、ハイパーテキスト形式のファイルではリンクを用いるのが読者の便宜上よい。但し、読者の便宜を考えない文書をWebに公開するのは自由である。便宜をはかるのは義務でも何でもない。」というもの。