いつぞやの歴史教科書のこと

■[コラム]自分がやれる事。自分がやるべき事。
http://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/20061128/p1
勝手ながら、とりあえず本題は後回しにさせてもらう。

ずいぶん前に、なんかのキャンプに誘われた時、メシ食った後の時間の雑談タイムで「新しい歴史教科書をつくる会」をメッチャ叩いてる大学生の女の子がいてね、曰く「アジアの人々の気持ちを考えていない」。ワシは言ったよ。「お前さんにはアジアの人々の気持ちが分かるのか?」「一人でもアジアに友人がいるのか?」「アジアの人々の気持ちは分かっても、日本のために命がけで戦争をしなければならなかった、じいちゃん達の気持ちは考えないのか?」ことごとく論破した。彼女は日本が軍国化しないか心配して、一生懸命説得しているつもりだったんだろうけど、どこかで仕入れた知識で話す言葉に力はなく、上滑りするばかりだった。

で何か結論が出たのか気になる。


ここで引用した以上の状況しかわからないので、これだけで判断すると、、
議論のための議論、論破のための論破のように見える。
アジアの人々の気持ちがわからなくても、アジアの友人がいなくても、じいちゃん達の気持ちは考えなくても、アジアの人々の気持ちを考えなくて良い、ましてや逆撫でして良い理由にはならない。


そして、、つくる会についての結論は一体何だったのか、気になる。
「論破した」と言ったら、つくる会を叩いちゃイカンってことになりそうだけど、、


#私自身は、ごく特定のアジアの人々の気持ちだけを考えること、それもろくな検証もなく気持ちだけ考えることには賛成できません。
論破したとおっしゃられる手法がちょっと気になっただけです。

遠い見ず知らずの他人よりも、まず汝の隣人を愛そう
って思わないのかなぁ。

隣人は一応、日本国籍を持ってて日本国の庇護下にありますからねー。


それに「できること」と「人との距離」は相関関係ないし。。
ごく小額をユニセフに寄付することはできても、潰れそうな店の赤字補填なんか到底できやしない。
それに、閉店・転職・商売替えといった選択肢を排除して赤字を出し続けるのは自己責任でもある。


#尤もボランティア的な限定されたことでの話であり、隣人との助け合いは当然した方が良いに決まっているが。


近くで何かすることが地に足が着いていることだと言うのなら、ちょっと同意しかねる部分があります。


ネットでなんかグダグダ言ってないで、オフラインで何か行動することを指すのならわからないでもないけど。。
ネットで完結して「いいことした」とか言われると、ちょっとねー。。