そもそもそれは滑稽なのか?

なぜ容姿だけを不可侵視するのか - 岩本隆史の日記帳

だからさ、言動を笑うのは良くて容姿を笑うのはダメってのは恣意的な基準でしかないって言ってんの。その基準を絶対視したければすればいいけど、俺にはそれが滑稽に見えるって話。

まずは、その「滑稽に見える」こと自体が恣意的な視点であることを指摘しておく。

頭髪の薄い人を「ハゲ」と笑って楽しいか、お前ら小学生か、という意見をもつ人がいる。その人が、別の場所では(自身にとって)幼稚な意見をもつ人を指して「バカ」と公言して楽しそうにしていたりする。実に滑稽だと思うんですがね。

他人を嘲笑するという意味で同レベルだと言いたいのはわかる。
(そもそも同レベルか?というのも疑問であり、はてブコメで指摘を受けていたりするけど、)
滑稽だと言いたい気持ちもわからんではない。
しかしそれは本当に滑稽なのか? そのような言葉で片付けていいものか。


#ここでは、ハゲに対してバカと返すという「反撃」に絞って語る。
何も言っていない、していない人にバカという例は扱わない。


ハゲと言われてバカと返するのが滑稽で否定されるべきイケナイことだとすると、当然バカと返すことはできない。
更に当然だが、何らかのお返しをするのも駄目だ。


更に更に、「他人にハゲと言ってはダメ」という価値観を作ってもダメ。
ましてや、そんな価値観を振るうのは言語道断。
それは、他人にハゲと言うことへの反撃であり、バカと返すのと同じことだからだ。


となると、「他人にハゲと言う」ことは良くて、それに対して「バカと返す」のはダメと言うことになる。
ずいぶんと無茶苦茶な話ですなぁ。


「そんなことは言ってない。バカと返すのが同レベルと言ってるだけで、他人をハゲ呼ばわりすることを良いとは言ってない。」
こう言われるかも知れない。
であれば、他人にハゲと言った者にどう対処するのか?という論点が必要になる。


バカと返すのは一種のペナルティだ。(本当にペナルティとして機能するかは、取り合えず置いておく。又、ガス抜きである面も取り合えず置いておく。)
それをしてはダメ、ということであれば、他の何らかのペナルティなり抑止力なりを設けなければならない。


特に、抑止力を真面目に考えようとすれば、バカと返す程度のペナルティでは到底済まなくなる。
その為にコストをかけることを国民すべてが容認できるか。
バカと返すだけで済むなら、何も社会的コストをかけようとは思うまい。


この論理で言えば
「滑稽とか言いたくて、人様にそれを認めさせたかったら、誰にも他人にハゲとか言わせないように岩本さんが動かないとね。多大なコストをかけて。」
ということになる。
まぁ、それは大げさではあるが。
(ハゲと言われる人にとっては、大げさではなく相当な問題であることもあるようだけど。)


つまりは、ハゲ言われてバカと返す程度のことは、滑稽とか言わずに大目に見てやれば?ってこと。
バカの一言も返せないってことになると、ハゲ言われる人は悪いエネルギーの溜め方して大爆発しますよ。

YOSIZOのブックマーク / 2008年07月11日


「「「ハゲを笑う奴に怒りつつ馬鹿を笑う奴は滑稽だ」と笑う奴もまた滑稽だよ」と笑う奴もまた滑稽だよ」メソッド。他人を馬鹿にしない奴が最強ってことで。

なおかつ、他人に馬鹿にされない人が最強ってことで。


他人から馬鹿にされ、自分は一切反撃しないで、心身ともに何ともない人は、解脱してる特別な人くらいだよ。
自分がキモオタであることを完全に受け入れたキモオタとか、非モテであることを完全に受け入れた非モテとか。。