また暇人が、、

「喧嘩を売られた」と反応する自意識過剰と、自分は喧嘩を売っているつもりはないという無自覚。
なんか暇人さんが、
「他人の自意識過剰を指摘する俺カコイイ。他人の無自覚を指摘する俺カコイイ。Pchaなんかより俺様の方がよっぽど自意識過剰だぞ!
等と宣言しているようだ。
たまには暇人構ってさんに、ちょっと真面目に構ってみる。


・自意識過剰というお言葉
なんかネットで他人を卑下するためによく使われるようだが、、
ブロガーにしろ、はてブマーカーにしろ、つゥちゃんねらァにしろ、ネット上に何かしら書く者は皆自意識過剰だ。


はてブに反応するのは自意識過剰だ」とか妙ちくりんなことが言われることもあるようだが、はてブコメを挙げて他人を自意識過剰扱いする者も、はてブに反応する者も、どちらも同程度に自意識過剰なのである。


従って、ネット上の他人への批判に自意識過剰という言葉を使うのは、自分のアホさ加減と自意識過剰ぶりを宣言することにしかならない。


参考:
■[ネット]嫌なら見るな - ネットでのつまらない話


・無自覚
「喧嘩を売ってるつもりはない」は、自分の中で自覚していることであって、それは無自覚ではない。
喧嘩を売ってるつもりはないのに喧嘩を売ってると取られたら、それは相手に対する無知であって、自覚の問題ではない。
(ある程度は常識の問題だが、相手の主観もあることなので、相手への無知とする方がより正確だろう)


ちなみに私は、少しでも他人を批判すれば、それが喧嘩と取られる可能性が常にあることを承知している。(少なくともどこかの暇人構ってさんよりは自覚できてると思う)


こちらが喧嘩売ったと思ったのなら、そう思って反応すればよい。
私に喧嘩売られたと思う者は、喧嘩として私にかかってくれば良いだけだ。
それがこの場のコンセプトでもある。