ネットは本当に言論の自由の場にふさわしいのか、

言い換えれば「議論の場」ということになるが、、
表現はともかく、言論を行使するのにネットが向いているとはあまり思わない。


一つは、ネットにいる人は皆が言論を披露しているつもりだったり、議論をしたい訳ではない、ということだ。
こちらは真っ当に言論を披露しているのに、まわりは罵倒してくるばかり、といった状況は論外だとしても、こちらは高尚な話がしたいのに相手は無知で平易な一般論で反論してきたり、又はその逆もあるだろう。


更に、多くの人に意見をみてもらって広く議論したいのに、議論の相手はいつも一人。
ちゃんとした議論がしたい人や、議論できるだけの資質がある人は雑音にかき消されてなかなかたどり着かない。
結局、自分でサイトを持つ意味がなく、大手サイトにぶら下がって議論するか、たまに見つけた人と議論するしかなくなる。


更に言えば、議論の場には公平な進行役がいた方が良いと思う。
そういう人が、テーマや知識レベル等、議論に応じた場をつくり、第三者の立場で管理した方が、議論をしたい人が集まって、話を深めたり(適切に)広げたりしやすいのではないか。


勿論、完全に公平な人などいないだろう。
TV朝日系列で議論番組をやってるT氏など、不公平で出しゃばりな進行役(司会と進行役は別だっけ、)の代名詞だろう。
それでもああいった役の人がいないと、議論の場はあっという間に烏合の衆の場となってしまうだろう。


ネット全体を議論の場と見なすのではなく、誰か公平に管理できる人が議論の場を作って、そこへ議論したい人たちが集まった方が、より質の高い議論ができるのではないかと思う。